「暑さ寒さも彼岸まで」と言われていますが、今年は彼岸になっても
まだ寒く、春はまだ遠いようにも感じられます
昨年の今と同じくらいの時期に東京に行ったのですが、桜が満開でした
今年はやっと昨日高知で開花宣言が出されたようですがまだ蕾も堅いようです
本当に春が待ち遠しいです
前回は、巡礼の本来の意義について勉強しましたが、今回はその次
「西国三十三所巡り」のはじまりについてもう少し勉強したいと思います
最初の回でも少しふれましたが、養老2年(718)に、長谷寺の
徳道上人が仮死状態となり、冥府で閻魔大王に出会い、人々を
悩みや苦しみから救うために、三十三所の観音霊場を定め、
33の宝印と、これらの霊場を巡った者はその功徳によって
地獄に落ちないという起請文を授かったとされています
現世にもどった徳道上人は観音信仰を広めようとしましたが、
当時の人々には受け入れられず、33の宝印を中山寺の石櫃に納めました
それから約270年後、那智山 青岸渡寺で修行中の花山法皇の枕元に
現れた熊野権現から徳道上人の定めた観音霊場を再興するようにお告げを受け
中山寺に納められていた33の宝印を探し出しました
そして、33の寺院を巡礼し、観音菩薩の功徳を世に広めました
その時、参詣の証に寺院に札を打ち付けたことから「札所」と呼ばれるようになり、
花山法皇がそれぞれの寺で観音を称えて詠んだ歌が「御詠歌」となりました
「極楽浄土への通行手形」と閻魔大王が言ったのは、ただ御朱印を集めれば良いという
意味ではなく、人が西国巡礼を通して自分や他者の優しい心に触れることで、自ずと
生前の行いが良くなり、結果的に極楽浄土へと導かれるという意味だそうです
現在も巡礼者によって歌われる御詠歌は、形のない祈りの文化財ともいえます
観音菩薩の慈悲の心は、日本人の心に脈々と受け継がれ、
西国三十三所観音巡礼は、平成30年に1300年記念の年を
迎えたそうです